味趣の眞寫‘味趣の眞寫あ29舟が水の上を動いて行のが面自い。舟と景色が好きでカメラは向けなかつた。太陽は今路に落ちゃうとして水の流れを引きつけるやうではあるが、舟は太陽に反逝して月の世界へでもつき進むかの様に見ゆるのは長瀞の景色である。その舟と水と岩とを愛さないで私はその舟が、この水と岩とを背景として光るのを見る事を好む。この舟と水と岩と舟の醜(のと、水の流れと岩の色とそれ等を幾年か年月の継過した時に、美くしき思出とせんが怪めに私はカメラを向けた。私は私の思出に綜厳なる慣値を認める。」夕照の基滞は舟の動きと水の流れと岩の色とで美くしき慣値があるのだ。行內正男寫真-の手機藝其二、植木鉢のカバーと一輪ざし彫になる程度に削り、倒つた部分はわざと刀の植木鉢のカバー、機の薄板、五寸五分と六寸五分あとをつけて置き、其上から淡線の絢具で塗リっのやa長方形のもの四枚、四隅と下部を少し切リぶし乾いてからサンドペーバで軽く磨リました。取つて恰好をつけました。葛冥はあきと、が秘職馬は姪しを掛けた銀で浮彫となり周園は線の濃淡のブロンズの馬で帝室技蒸員新海竹太郎氏作のもで夫れを引きたて、居り、一寸雅趣のあるものがの、夫れを二つの異った方面から撮つたもので、出来ました。出楽上つた板の雨脇に穴をあけ、絹縛篤現像紙〈密で焼きつけました。薄板の適賞紐を以て綴リ合せ、薄板の底をつけました。方形の部分丁度馬の燈になる虚丈にゼラチンで銀箔を一の四方に各一頭づ、の馬を飾つた箱、花を附けた置き、更に其上にゼラチンを引いて、前の馬の絢植木の鉢を中に入れて書棚の上あたリに置くに適を其上に韓寡しました。丸刀(これは木彫に使ふ富なものが出来あがリました。烈物の名)で馬だけを残して其周園を馬が浮一輪ざし、これは、あきと、の貧弱な豪所の隅
味趣の眞寫味趣の眞寫に縛がつて居た小さい焼もとの徳利であります。金騰が茶色を都びた淡鼠色をして居るので北一部を自のエナメルで塗つて乾かしゼラチンを引ました。寡冥は御近所の新宿園に居るバ禽でありますこれを縛葛現像紙へ密着で焼き附け、セビャの調色液で仕上げました。前の徳利のエナメルを塗った部分へメタ韓寓法で韓篤し必要以外の膜を削リ取り、セビャの油絢具で仕上をしたのであります。深山の水禽の群から擬我されたベリカン君に依つて飾られた一輪ざし。其べリカン君の居る反勤の側に天金の二学が書かれてあるのであります、此文字はわが一輪ざし徳利君の龍身を語るもので、彼は賞に銀座の名物天金から、小生の薬所へ運ばれたものであつたのであリます質疑應答質問の要鮎を詳細に認め、六榎証工場内、江頭宛郵途せられたし、念速回答を望まる、向、公表を欲せられざる問は、其旨附記し返信料封入あらば私信を以て回答す。問可なり久しい間葛冥に親しんで参リましが見へない程黒くはない者が最良であると肥したが近頃最良の原版の濃さに就いて疑を持つ様一てありました、最陽部の濃さと云ふ者は一畿どになりました、或る人の最良と稲する原版は私の位の者が標準になる者で御座いましゃうか、の目には如何にも薄そうに見へますし、又他の御示敦を願ひます或人は臆分濃い者を作つて得意で居られます。名古屋市太田貞子いつか或る本か雑誌でしたかで識んだのに答是は極めて重要な問題ですが又極めて六は、最暗都でも夫を活字の上に営てて見て共字ヶ敷い問題でもあります
味趣の眞寫味趣の眞寫原板の一番淡い部分と一番濃い部分の濃さのきかと申すに、夫は一番薄い所と較べて見ての比を共原板の照膨と申します。話で、一番薄い所が素硝子同様に授けて居ると原板のコントラストは焼き付け可き印濫紙のすれは、一番濃い所を新聞紙の上に常て入見て性質に依つて異る可きで、例ばコントラストベ其活字が見へない位に濃い者はセプラ、セルタロックスの如き硬調の印霊に焼き付けるには成等には適しますが現像紙には照鹿が強過ぎて到一る可く濃淡の差の甚しからざる即ちュントラス底物になりませんので相常明瞭に見へる位でなトの少き原板を用ひ、POPやセプラ、セルタ、ければなりません、俳し一番薄い所が稽かふつカーボン、アーチュラー、等に焼き付けるには一て居る者では、最濃部は活字が全然見へなくな濃淡の差の相営に強きコントラスト陰霊に仕上る位の濃さを持つて居て然る可き者です。げねばなりません、是は張弱相異る二三の原板併し斯うした濃いとか淡いとか、照塵が張いを用ひ、コントラストペロックス、アーチュラとか弱いとかと云ふ問題は到底話や文章で共程ー、セルタ(或はセプラ)で焼き較べて見て二度を云ひ現はせる者でありませんからつまリは三の賞験をすれは自然に明瞭に判リます。其道の先輩について賞物示導を受けるか或は自夫から一見濃い所をどの位の濃さに仕上ぐ可身で試験的に焼き較べて研究をするより外はあるまいと思ひます。れが上等なリや廣島市S生最近ヵメラマンの仲間に入りました、そ答乾版或は印霊紙を少しも光線に合せずにして二三ヶ月前から『趣味』を讃んで居ますが、暗宝の中で直ちに現像液に浸し、乾板ならば五誌中諸々に『かぶり』と云ふ言葉があり相営重六分間、印濫紙ならば二三分間現像します、無要らしい事とは思はれますが共意味が判りませ論何も出ません、夫を一寸水洗してハイボ注でん、ど1か御設明を願ます。定着して見ますと、乾板は素硝子の如く、印霊スクリーンを必要とするは如何なる場合であ紙は純白な自紙に等しく見〈るのが常道です、りますか、確子の色合は幾種程あり如何なる色然るに、か如何なる場合に必要ですか。1、乾板や印霊紙が非常に古い時。我等初心アマチュアーの日常常備す可き印書ニ、現像液の調合法が悪いか或は有害物が飛び紙の種類。込んだ時。濁逸ェルネマン製葛冥機に附着せる鏡玉に三、臭素加里の添加を忘れた時。F=16.emJ云ふ者あり、RR鏡玉と較べて何四、現像中の温度が高過ぎた時。
味趣の眞寫味趣の眞寫五、暗室燈光が明る過ぎる、若くは除り接近し可き所(黒髪、木の蔭、穴の中等の如き)が薄て長時間照らし過ぎる。黒くなる、斯かる印書乃至原板をかぶつた印霊六、1寸でも自光線に解れる。或はかぶつた種板と稀し、到底上等の葛冥とは以上の内の一項或は敷項に簡れたとすると、なりません。印霊紙は純白にならずに薄鼠色に色づき、乾板かぶりを裸防するには前揚の各修に特調せざは素硝子にならずに薄く媒ぶつた様になりまする事が第一ですが、乾板やヒルム、若くは印霊一是をかぶりと唱します。紙の古い者、不良の者、光線を引いて居る者等若し露出した乾板、焼き付た印紙を現像す先天的のがふりに至つては、其程度に依り現像る際に前述の事項に簡れたとすれは、締は型の液を冷くし、臭素加里を五倍位に増加し、露出如くに現はれては楽ますが暫くにして日が暮れ若(は焼度を増し、現像時間を成る可く短くしる様に至面一壁に簿黒くなつて、翰として純白一て引き上る事に依て或る程度迄は救はれます。に上る可き所(即ち洋服のカラ1とか小供の自二、整色スクリーンは普通黄色と定まつた者ェブロンとか、雪の輝いた所の如き)が薄鼠色で只比色の濃淡の差があるのみですが、普通はになり、乾板に於ては素硝子の如(透明になる「六倍」とする濃さの者一枚あれば深山です。スクリーンを必要とするは、天空の雲を列然右の様に備へて置いて共原板の出来茶へに依と葛し出し度き場合、遠川、雪景、海景を葛すて適富する印霊紙を使へば常に成功疑ひなし時、茶の花、枯草、紅葉、稲田、黄巴の花、其四、F=16.Cmとは其鏡玉の焦鰭距離が十六他色の者を明るく出さんと欲する時です仙米なる事の意味で、鏡玉良否を列別するの意一三、印書紙は原板の濃淡に依つて大々適富の味とはなりませぬとか恥とかとかの数字に者を撰躍す可きですがって共明るさが例りTesserとかDagofere原板の調子張~濃厚なる者、黒自の照鹿甚敷JるHellisとかCollininとかの名に依つて者に劉してはァーチュラーアィリス、セルタ、其良否を判別するのですから、其名と弘とを伺セプラ、セルトナ、POF等宜敷。はなければRRより良いか悪いかを列断する事原板の調子中度なる者には、は出来ませぬ。コンガス.アゾ、レギュラーベロックス等の內一種。原板の調子薄〈黒自の差少き者には、1、テスター鏡玉は比較的優良な者でしょうかコントラストベロックス、コンガス。二、ヴェロ二類鏡玉とは何れが優良ですか