味趣の眞寫味趣の眞寫壁に背を向けて居る彼等の姿も興あるものであ私達か易興のモデルとしてべルシャ猫の必要が一なくなつて後、彼等をやめやうと思つた。然し兎に角、彼等の物好みや厚額にも指わらず彼等は私達の室、毛跳も敷かれて無い貧弱な室に於て、彼等は相営に色彩を添える役目を務めて居たのであった、彼等は一歩々々すり寄リながら、鳴きながら後退リする彼等の目は丸く光つて居た。ペルシャ猫である彼等は賞譜に個する恰桐者であつた。而して少しの事にも驚き易いので、耀草の姻を吹き掛ける丈でも彼等を驚かすに充分であった。私達は彼等が上品に育て上げられた猫達であるのを考へると、彼等の始末をつける事に頭をなやまして見ては結局私達は敗けてしまうのであった。薦一私達が彼等の好きな食物を彼等に興へなかつたら、彼等は断食をしてしまうであらら、悠然と調歩する彼等の僑めに常に戸口を開けて置かなければ、彼等は閉め出しを喰った戸外で感冒に掛るであらう。私達は敗けた、何にしても彼等は美くしい、優雅である、而して常に愛矯のある彼等である。私達は彼等の始末をつける事は出来得ない墓術的印霊を作らうとする人には箱霊的に物を考へる事を挙ばねばならぬ。故に提供された物:其物から離れて締として見る事、線や形の配合が夫れ自身快快い感じの満足な素地で形造くられた一絢として、見る事に慣れなければならない。(終)
味趣の眞寫‘味趣の眞寫あ29舟が水の上を動いて行のが面自い。舟と景色が好きでカメラは向けなかつた。太陽は今路に落ちゃうとして水の流れを引きつけるやうではあるが、舟は太陽に反逝して月の世界へでもつき進むかの様に見ゆるのは長瀞の景色である。その舟と水と岩とを愛さないで私はその舟が、この水と岩とを背景として光るのを見る事を好む。この舟と水と岩と舟の醜(のと、水の流れと岩の色とそれ等を幾年か年月の継過した時に、美くしき思出とせんが怪めに私はカメラを向けた。私は私の思出に綜厳なる慣値を認める。」夕照の基滞は舟の動きと水の流れと岩の色とで美くしき慣値があるのだ。行內正男寫真-の手機藝其二、植木鉢のカバーと一輪ざし彫になる程度に削り、倒つた部分はわざと刀の植木鉢のカバー、機の薄板、五寸五分と六寸五分あとをつけて置き、其上から淡線の絢具で塗リっのやa長方形のもの四枚、四隅と下部を少し切リぶし乾いてからサンドペーバで軽く磨リました。取つて恰好をつけました。葛冥はあきと、が秘職馬は姪しを掛けた銀で浮彫となり周園は線の濃淡のブロンズの馬で帝室技蒸員新海竹太郎氏作のもで夫れを引きたて、居り、一寸雅趣のあるものがの、夫れを二つの異った方面から撮つたもので、出来ました。出楽上つた板の雨脇に穴をあけ、絹縛篤現像紙〈密で焼きつけました。薄板の適賞紐を以て綴リ合せ、薄板の底をつけました。方形の部分丁度馬の燈になる虚丈にゼラチンで銀箔を一の四方に各一頭づ、の馬を飾つた箱、花を附けた置き、更に其上にゼラチンを引いて、前の馬の絢植木の鉢を中に入れて書棚の上あたリに置くに適を其上に韓寡しました。丸刀(これは木彫に使ふ富なものが出来あがリました。烈物の名)で馬だけを残して其周園を馬が浮一輪ざし、これは、あきと、の貧弱な豪所の隅
味趣の眞寫味趣の眞寫に縛がつて居た小さい焼もとの徳利であります。金騰が茶色を都びた淡鼠色をして居るので北一部を自のエナメルで塗つて乾かしゼラチンを引ました。寡冥は御近所の新宿園に居るバ禽でありますこれを縛葛現像紙へ密着で焼き附け、セビャの調色液で仕上げました。前の徳利のエナメルを塗った部分へメタ韓寓法で韓篤し必要以外の膜を削リ取り、セビャの油絢具で仕上をしたのであります。深山の水禽の群から擬我されたベリカン君に依つて飾られた一輪ざし。其べリカン君の居る反勤の側に天金の二学が書かれてあるのであります、此文字はわが一輪ざし徳利君の龍身を語るもので、彼は賞に銀座の名物天金から、小生の薬所へ運ばれたものであつたのであリます質疑應答質問の要鮎を詳細に認め、六榎証工場内、江頭宛郵途せられたし、念速回答を望まる、向、公表を欲せられざる問は、其旨附記し返信料封入あらば私信を以て回答す。問可なり久しい間葛冥に親しんで参リましが見へない程黒くはない者が最良であると肥したが近頃最良の原版の濃さに就いて疑を持つ様一てありました、最陽部の濃さと云ふ者は一畿どになりました、或る人の最良と稲する原版は私の位の者が標準になる者で御座いましゃうか、の目には如何にも薄そうに見へますし、又他の御示敦を願ひます或人は臆分濃い者を作つて得意で居られます。名古屋市太田貞子いつか或る本か雑誌でしたかで識んだのに答是は極めて重要な問題ですが又極めて六は、最暗都でも夫を活字の上に営てて見て共字ヶ敷い問題でもあります
味趣の眞寫味趣の眞寫原板の一番淡い部分と一番濃い部分の濃さのきかと申すに、夫は一番薄い所と較べて見ての比を共原板の照膨と申します。話で、一番薄い所が素硝子同様に授けて居ると原板のコントラストは焼き付け可き印濫紙のすれは、一番濃い所を新聞紙の上に常て入見て性質に依つて異る可きで、例ばコントラストベ其活字が見へない位に濃い者はセプラ、セルタロックスの如き硬調の印霊に焼き付けるには成等には適しますが現像紙には照鹿が強過ぎて到一る可く濃淡の差の甚しからざる即ちュントラス底物になりませんので相常明瞭に見へる位でなトの少き原板を用ひ、POPやセプラ、セルタ、ければなりません、俳し一番薄い所が稽かふつカーボン、アーチュラー、等に焼き付けるには一て居る者では、最濃部は活字が全然見へなくな濃淡の差の相営に強きコントラスト陰霊に仕上る位の濃さを持つて居て然る可き者です。げねばなりません、是は張弱相異る二三の原板併し斯うした濃いとか淡いとか、照塵が張いを用ひ、コントラストペロックス、アーチュラとか弱いとかと云ふ問題は到底話や文章で共程ー、セルタ(或はセプラ)で焼き較べて見て二度を云ひ現はせる者でありませんからつまリは三の賞験をすれは自然に明瞭に判リます。其道の先輩について賞物示導を受けるか或は自夫から一見濃い所をどの位の濃さに仕上ぐ可身で試験的に焼き較べて研究をするより外はあるまいと思ひます。れが上等なリや廣島市S生最近ヵメラマンの仲間に入りました、そ答乾版或は印霊紙を少しも光線に合せずにして二三ヶ月前から『趣味』を讃んで居ますが、暗宝の中で直ちに現像液に浸し、乾板ならば五誌中諸々に『かぶり』と云ふ言葉があり相営重六分間、印濫紙ならば二三分間現像します、無要らしい事とは思はれますが共意味が判りませ論何も出ません、夫を一寸水洗してハイボ注でん、ど1か御設明を願ます。定着して見ますと、乾板は素硝子の如く、印霊スクリーンを必要とするは如何なる場合であ紙は純白な自紙に等しく見〈るのが常道です、りますか、確子の色合は幾種程あり如何なる色然るに、か如何なる場合に必要ですか。1、乾板や印霊紙が非常に古い時。我等初心アマチュアーの日常常備す可き印書ニ、現像液の調合法が悪いか或は有害物が飛び紙の種類。込んだ時。濁逸ェルネマン製葛冥機に附着せる鏡玉に三、臭素加里の添加を忘れた時。F=16.emJ云ふ者あり、RR鏡玉と較べて何四、現像中の温度が高過ぎた時。