味趣の眞寫味趣の察21キヤットとキヤメラカリン、カドビー(PHOTO-ERAから如)私達が寡域のモデルとして猫を取扱つた時に猫.と同様に猫を取扱つたのであつた。例へば彼の食好きの友は驚いて言つた。事に残飯を興へても猫が夫れを喰はなかつたら、「君は猫を理解して居ないね。我々が猫を取扱ふ彼は腹がすくだらら。戸口に猫が居る時に、彼が通には彼に封する周到な注意が必要なんだよ、君はらずにぐず々々して居るならば、這入りたくない犬を撮るには慣れて居るがね。」のであらうと扉を閉める、位な理解を以て。質際、私達は犬を取扱ふには充分慣れて居るが然し私達の知つて居る範闇に於て猫に就て書い猫に劉しては、殊に彼の復雑な性格に劉しては何等の研究をも僑て居ないのであった、にも拘はら若し私達が自分の墓所に居る虎猫のヂェンを使ず私達は猫をモデルに使つたのである。猫の心理つて撮つたなら、私達の取扱ひ方でも或は成巧しなんぞは別に考へもしなかつたので、例時もの犬たかも知れなかつた。然し寡冥にするに就て私達一は美的で上品に育つた、優雅な可愛らしい、身燈い調和があった、彼が共柔軟は鍵を動かす度毎にの釣合の取れた猫を必要とした。夫れにはペルシ彼の毛並みが脊銀色から黒い斑らへと焚つて行くャ猫を使はねばならなかつたのである。御承知ののであった。通り其様な完全な猫や、生梓の交り気のないべル私達がテオドシァに依つて楽術的の罰象を得たシャ猫は滅多には居ない。これ等貴族的な猫と比事は否めない事柄であった、然し私達の目的はカ較して、わが豪所の虎猫などは共性格の躍純質朴一メラに封して或るモデルを必要とするので、私違一さは殆ど犬の如うなものであった。の室に装飾を必要とするので、はなかつたのであ私達の不適営な取扱で問題となつたのは、テオる。富域のモデルとして彼れテォドシアを選んだドシアと呼ぶ猫であった。彼は熊度の上品な、立のは失敗であった。派な動物で見るから美しい快よい猫であつた。「猫はじつとして居ない動物である。テオドシア彼が暖耀の前に座り込んだり、日富リの良い窓は何の必要の僑めに自分が伴れられて楽たかを知枠の上で微を展ばしたリ、した時の姿は私達の宝一り而して其件られて楽た事賞に不満であったのはの立派な装飾品であった。彼の美事な黄色い目球疑ひない。多分彼は、ベルシャ猫を或る何等かQ目は賓石と輝き。小さい耳は霧子、貝殻のつや々か的に役たてやうと私達が考へるのは不都合な事ださを持ち、灰青色の彼の毛皮には光と影の美くしと彼れ自身思つて居たに相違ないのである。如何
味趣の眞寫味趣の眞寫に彼れが私達と一しょに温願にして居る時でも.態を彼れテオドシアに保たしめると共に、彼を退カメラの目球は彼を、温願な猫から狂つた猿や敵屈させぬ僑めに私達は、静かに彼のお相手を試み意を持つ購馬に楚化させるのであった。た。けれども一度撮影に取り掛るや、静穏は保た不幸にしてカメラの持つ能力を疫揮させるにれなかつた、テォドシアは一瞬の猶像もなく、突は、モデルを少時一つ場所に静かに置かればなら進し飛び掛り、狼の如く窓掛布に高く馳せ上つてぬ。私達の今の場合には白い布に蔽はれたテーズ撮影を妨げるのであった。私達が如何に優しく彼ル、の上に彼を置く必要がある。此少時の必要な状れを導からと試みても私達は醜い瞬馬の如うな恰好で蹴いて動かない猫に劉して居なければはらなかつた。怒れる尾をふるわす悪魔的表現を持つ彼を鞭によってのみ激力を持つ螺馬なみに取扱は一なければならなかつたのである。然しながら撮影から離れてのテオドシアは非常な魅惑的の性格を持つて居た。而して彼自身は手のつけられぬ悪いモデルであったけれども、一面に於て彼は私達の最良のモデルであつのである。テォドシアが仔猫を生んだ、夫れが生れた日に虎すつかり誤魔化されてしまつたのである。猫チエンは大きなわらを以て豪所からあらばれた彼テォドシアの仔猫は立派に生たつた、私達が私達はヂェンをテォドシアの家庭の氷仕者とし、信じた通り質朴なヂェンに差育された彼は申分のテォドシアの小供の乳母としたのであった。私達たい優良なモデルに育てあげられたのであった。は貴族的なテオドシアが母性義務から死かれる事」私は彼の歩るく自然の姿を撮らうと試みた。其を喜ぶであらうと考へたからである。けれども犬」時彼は白布を掛けられたデープルの上に、カメラれは私達の考へ遣ひであつた。私達はテォドシアに見つめられながら眼つて居たのである。私達はを慰める儒めにヂェンの仔猫を彼の養ひ子とする彼が起き上つて畿をうんと展して歩き出す、其瞬必要を認めたのであった。間の姿を撮つてやららと、細心の注意を排つて共取り換子は好結果を得た、テォドシアも矢張世時を待った。彼は熟く眠った夫れは私達に取つて間並の親猫と合様に子猫を育てるのが好かつたの監分長い、待遠しい時間であつた。であった、私達と彼れとの此交渉は成巧であった。彼以外の二匹のベルシャ猫は私達自身の手で育テオドシアは彼自身の仔猫が近づく事を許さなかてたのであった、これも相常に良いモデルに育つった、もし仔猫が彼に近ついた場合には烈しく叱たのであった。始終共遷に遊んで居る彼等は私達かり退けられるのであったテォドシアは私達にに多くの牧獲を修せた。極る調法な彼等であつた。
味趣の眞寫味趣の眞寫壁に背を向けて居る彼等の姿も興あるものであ私達か易興のモデルとしてべルシャ猫の必要が一なくなつて後、彼等をやめやうと思つた。然し兎に角、彼等の物好みや厚額にも指わらず彼等は私達の室、毛跳も敷かれて無い貧弱な室に於て、彼等は相営に色彩を添える役目を務めて居たのであった、彼等は一歩々々すり寄リながら、鳴きながら後退リする彼等の目は丸く光つて居た。ペルシャ猫である彼等は賞譜に個する恰桐者であつた。而して少しの事にも驚き易いので、耀草の姻を吹き掛ける丈でも彼等を驚かすに充分であった。私達は彼等が上品に育て上げられた猫達であるのを考へると、彼等の始末をつける事に頭をなやまして見ては結局私達は敗けてしまうのであった。薦一私達が彼等の好きな食物を彼等に興へなかつたら、彼等は断食をしてしまうであらら、悠然と調歩する彼等の僑めに常に戸口を開けて置かなければ、彼等は閉め出しを喰った戸外で感冒に掛るであらう。私達は敗けた、何にしても彼等は美くしい、優雅である、而して常に愛矯のある彼等である。私達は彼等の始末をつける事は出来得ない墓術的印霊を作らうとする人には箱霊的に物を考へる事を挙ばねばならぬ。故に提供された物:其物から離れて締として見る事、線や形の配合が夫れ自身快快い感じの満足な素地で形造くられた一絢として、見る事に慣れなければならない。(終)
味趣の眞寫‘味趣の眞寫あ29舟が水の上を動いて行のが面自い。舟と景色が好きでカメラは向けなかつた。太陽は今路に落ちゃうとして水の流れを引きつけるやうではあるが、舟は太陽に反逝して月の世界へでもつき進むかの様に見ゆるのは長瀞の景色である。その舟と水と岩とを愛さないで私はその舟が、この水と岩とを背景として光るのを見る事を好む。この舟と水と岩と舟の醜(のと、水の流れと岩の色とそれ等を幾年か年月の継過した時に、美くしき思出とせんが怪めに私はカメラを向けた。私は私の思出に綜厳なる慣値を認める。」夕照の基滞は舟の動きと水の流れと岩の色とで美くしき慣値があるのだ。行內正男寫真-の手機藝其二、植木鉢のカバーと一輪ざし彫になる程度に削り、倒つた部分はわざと刀の植木鉢のカバー、機の薄板、五寸五分と六寸五分あとをつけて置き、其上から淡線の絢具で塗リっのやa長方形のもの四枚、四隅と下部を少し切リぶし乾いてからサンドペーバで軽く磨リました。取つて恰好をつけました。葛冥はあきと、が秘職馬は姪しを掛けた銀で浮彫となり周園は線の濃淡のブロンズの馬で帝室技蒸員新海竹太郎氏作のもで夫れを引きたて、居り、一寸雅趣のあるものがの、夫れを二つの異った方面から撮つたもので、出来ました。出楽上つた板の雨脇に穴をあけ、絹縛篤現像紙〈密で焼きつけました。薄板の適賞紐を以て綴リ合せ、薄板の底をつけました。方形の部分丁度馬の燈になる虚丈にゼラチンで銀箔を一の四方に各一頭づ、の馬を飾つた箱、花を附けた置き、更に其上にゼラチンを引いて、前の馬の絢植木の鉢を中に入れて書棚の上あたリに置くに適を其上に韓寡しました。丸刀(これは木彫に使ふ富なものが出来あがリました。烈物の名)で馬だけを残して其周園を馬が浮一輪ざし、これは、あきと、の貧弱な豪所の隅