味趣の篇味趣の眞寫寫13ならば、現像作用は行れるかと申しますと、現像ドヘノールよりも還元性非常に大なるものであり作用は行れないのであります、即理論敷量より盗ます、アルカリは前の中和作用とこの賑を生成すに多量を加へなければ現像薬は其の機能を示すに一る作用とを管れものと考察するを妥富とします。至らないのであリます。故にアルカリは此の中和現像薬の水溶波を空派中に放置致しますと、徐作用を行ふのみでなく、一方に更に現像作用の大々に着色されて行きます、これは其接綱してゐる切な役割を持つもので有る事が分ります空無中の酸素の酸化作用を受ける篤であります。アルカリは現像薬とも直接化合して、現像薬のこの酸化作用は、アルカリの存在する時は一段アルカリ題類を形成し、この願類が現像薬其自身強烈味を加へて索ます、若しこんな液で現像を致より還元性敷等大であって現像機能を充分に獲揮しませうなら、ゼラチン膜は汚染され、カブリはするものとなるのであります。惹き起し易くなります、此の流の着色されるのを今之をバラミドヘノールを以て示しますと防ぎ、長く清澄な液として且つ現像能力を保持さOHOH.NH+NaOH=CHONaNH+H0せる僑に加へるものは普通亜硫酸曹達でありまナトリウムバラ水ミドヘノレートパラミド苛性曹達ヘノールこのナトリウムバラアミドヘノレートはバラァミ此の亜硫酸曹達を保恒剤と申します硫酸曹達が現像築の酸化されるのを防ぎ.ゼな具合になる事が御座います、之も一般にカブリラチン膜の汚染されるのを軽減する理由として考或はホッグと申しますへられて居るのは大壁次の通リであります。カブリの原因は種々ありませうが、乳剤固有の空中の酸素が現像薬中に入りますと共存する化挙的ヵブリ、徐り濃厚な現像薬を用ひたため、亜硫酸曹達は現像薬より、酸化作用を受け易く自度を過して現像を押したため、或は暗宝ランプの身先に酸化されて、現像薬の酸化されるのを防ぎ不完全や、取扱ひの不注意等より起りますます。乳剤の最初からもつて居るカブリは如何とも救1方に於て現像薬の酸化生成物で、汚染の原因消の見込みは有リまぜんがしかし幾分は十分に露となる色素等は亜硫酸曹達の僑還元破されて、出を興へて置いて現像液中に臭素加里を加へて現汚染の原因は根本的に除去されることとなリま像することによリ軽減することが出来ます、又濃厚な現像液を用ふる時も、臭素加里を加へてヵブ乾板フイルム、或は印霊紙の現像中よく一面薄リの起る事を防ぎます。く黒ずんで、折角透き徹つて仕上る筈の原板も、臭素加里のこの働きを抑制作用と申し臭素加里真白に上るべき陽霊も、不倫快な霧に閉された様を抑制剤と申します。
味趣の真宮味趣の眞寫林漫14臭素加里の代リに臭素アンモン、沃土ヵリを用の諸成分を量り込んで有るのであります。ふる事も出ま楽す此の四成分の役割を熟知し、其特有の機能の活」要言しますれば現像液は一般に、メトル、パイ用と、乾板フイルム、印費紙の性質を呑み込むこロの如き現像薬、炭酸ッーダの如き現像促進剤、とと相侯つて初めて完全なる原板、優秀なる印哉亜硫酸ソーダの如き保恒剤、及び臭素加里の抑制を作成する基礎は通差されるのであります。(未完)剤の四成分を具備して初めて完成されるもので、之等四成分は現像液と云ふ家豪骨の四本柱とも硫」へられます。皆様目常御使用になる、六榎社製サクラ現像薬にしろュンク現像薬にしろ将たュニオール、HQにしろ、これだけの成分は持つて居るので、サクラ現像薬、コンク現像薬は此液中に纏ての成分を含有し、二=オール、MQ等は一管中少量の部分には現像の主築を、多量の部分には従進剤、以下時代の鍵遷と日光印書紙言永い冬眠から目登めて、薦目一新の春は吾々趣天然色オートクロームもからが紹好の期、然味の葛冥家を再びこの天地に活動せしむ可く、全して日光に親む所の大なる日光燐付の印書紙にもての好都合な要求や、懲望に便宜を興へて臭れま亦最も良いチャンスが楽つ、あるのです。す。徒らに己がレンズの働き振りを疑つて見た葛属術の生九出た頃には勿論現今の様に、陰霊り、乾板やヒルムの鈍感をかとちっあつた人々原板を得てから寡真書を作り出すと云ふ事が出来も自づと微笑の内に其作品を迎へ接するのグッドませんでしたから、日光に依つて出来た物微の陰チャンスが到来した課です。影を硝酸銀液の塗つてある自紙上に直接に焼き付此時に常つて各々好みの方法に目登ましく活躍ける法で、則ちシルエット(影締)に外ならないのせらる」事と期待して居ります。作業上の好都合でした。は勿論の事、茜の探索も心地良~出来るでせう。そしてそれに要する焼付の時間は非常に長くて
味趣の真宮味趣の眞寫17其頃のモデルに成った人はさぞかし閉ロした事とな事は思ひも依らなかつた事と想像せられます。考へられます。虚が硝酸銀の代リに臨化銀を用ひて霊像を得るとれはゥェッヂゥッドと云ふ人が工夫をしたも事に成功したデーヴイーと云ふ人がありました。ので、彼は其紙を其嘗時に出来て居た「カメラォ併し出楽上つた印霊を定着する可き楽品の酸見ブスキュラ」と云ふ現今のカメラの顧先である所せられて居なかつた僑めに、折角出来ても日光にの「のぞき暗顔」に利用して風景等の霊像を得よ富てれば感光しなかつた部分にまで感光して仕舞らと試みましたが、硝酸銀を塗つた紙では感光度ふので感光を止める薬品の出現を望んだのです。の鈍い僑めに失敗に終ったのです。其後途にハーシェルと云ふ人が今のハイボーなこれが若しも感光したとしても反劃の霊像則ちる薬品が定着の重大な役目を持つて居ると云ふ事白い物が黒く黒い物が白く出る理由です。を獲見されて以楽現在の吾々に至るまで、其有離現今の機に陰霊原板と云ふ物があれば此耐酸銀い御恩を戴いて居ると云ふ謬なのですの塗つてある紙を常て、日光に露出せしめ霊像を其他=ープスとかダゲールとか多(の人々に依得る事は出来ますが、其時代には只霊像を作り出つて逸に葛属術なるものが完成せられたのであリすと云ふ事が重大な問題であったのですから此様ます兎に角種々なる苦心の階段を踏んで批像を、紙の上に焼付ける事の出来る機になつたのは最近云ふ日光印霊紙も有りましたが、是は一部分の人」六七十年前からで、それには先づ日光燐付の印霊に使用せられて居た様です。鶏卵紙の次に相常中紙が始めであるのですを利かせて居たのはビーォーピーでありますが現其租先はと云へばゥェウヂゥッドやデーヴィー在では殆んど設明的な方面に用ふるのみと云つてであリますから大いに感謝をせればなりません。も良い位置に成つて居ります日光印霊紙と銘を打つて一般に用ひられた最初ピーオーピーと同時代に高等印霊紙とせられての印霊紙は鶏卵紙であつて、我闘では慶態年間か居たのは、セロイヂン紙で我図ではアリスト白金ら、明治二十三四年頃の間盛んに用ひられました紙と榊して人像寡属には最も重用せられたのですが、其後はピーォーピーや、セロイデン紙に其勢虚が先年の厭洲大戦の勃と共に、村料供給等の力を奪はれて今では釜然其姿を見る事は出来ませ閣係上途に印霊紙の大勢は現像印霊紙に疑遷せらん。吾々の顧父母や父母の若い時代の古い寡属にれ現在に至つたのです。は、これを用ひられて出楽て居る無取つたもの等セロイヂン紙の美しい調子は到底現今の現像印を折に胴れて見出す事があります。藍紙の及ぶ可きではありません。如何程アーチュビーォーピーやセロイヂン紙の他にザルッ紙とラやヴイタヴアのグラデーションが人像に適して
味趣の真味趣の眞寫居ると賞識してもセロイヂン紙の標なグラデーシへば印逝紙とする原紙に鶏卵の蛋白を布き硝酸銀ョンには遠く及ばぬ事でせう。等の感光薬品で感光作用を起す虐の鶏卵紙は、差トー》m)前述の印書紙も、ピーオービーを除く外、今日調の長いと云ふ特長はありますが、其保存力では現像印造紙に共勢力を奪はれて、1般葛真家に至っては賞に弱いのです。でも亦アマチュア寡冥家でも用ひて居る人は殆んビーオーピーに於ては、印霊膜が阿腸で作られどありますまい。て居て、共感光成分には願化銀と其他幾分かの有今日日光印霊紙で用ひられて居るのは、セルフHPミAmA機酸類と硝酸銀が含まれ乳白剤が出来て居るのトーニングと稀して只ハイボー液のみにて仕上げで、ピーォービーの乳自剤は水を多量に吸収するを行ふと云ふ簡軍な印書紙で特にアマチュア寓真為め、夏期の温度の高い時期には膜画を損じ易い家に撒迎せられて居ります。ので、腫れ物にでも綱れる様に大事に取扱はねば日光印裁紙が衰微したのは時代の焚化が新しき物を要求した結果もありませう、が日光印濫紙のセロイヂン紙に至つては、膜面の溶解などと云ゼトト。様な作業上の繁雑や能率上に閣係のある事は現代ふ心配は少しもありません。それは阿腿の代りに、の哀短な人々には向かなくなつて来たのです。例1ロヂョンを用ひてある鑑めで、感光成分には、矢張リ卿化銀が用ひられてあるのです。併し此印一くから最も趣味ある印蓋法として賞せられて居る藍紙は仕上の際に薬液中に浸すと、倦き付いて困護談印法があります。手数を要する丈に其努力ると云ふそして膜而にヒくの出来ると云ふ鉄詰のに報ゆる快味の大なる事は申すまでも無い、其慶一ある代物です。理法は純然たる爽術であリます。是れの特長は印兎に角是等日光印霊紙の線盤を通じて、焼付か霊紙を自分で作るめ自由な原紙を選ぶ事が出楽ら仕上げまでには可成リの時間を要し、全て気長亦自分の好のみ色調に焼付る事が出来るのです。に行はねばなりません。若しも曇天や雨天の場合感光主要分たる重クロlム酸臨(加里又はアンには、其能率は全然ゼロと云つても良い位の大鉄モニア)と好みの絢具をアラビァゴムに溶かし込語を持つて居ります。入梅時の橡に毎日強烈な太一み原紙に塗布し、焼付、水洗、千燥と云ふ順序を一陽を拝む事が出楽ない等と云つたらば焼付は更に反復十二三回位を繰り返します。これが亦ゴム印追行しない事でしょう。霊法の特長なのです。以上述べて楽た他にも直接十年斗リ以前までは新屋の明後日と並べて宮賞日光を利用して焼付けを行ふ背篤属、ヵーボンチ屋の明後日と云ふ言葉が有つたのも、それ等の鉄ッシュ等がありますが後日に醸ります。日光印霊鮎の僑めに常然作られた悪口なのでありませう。紙が時代の要求に如何程の闘係を作ったか興味あこうして日光印霊紙は衰微して楽ましたが、古る問題であろとう思はれます。(をはリ)
味趣の眞寫味趣の察21キヤットとキヤメラカリン、カドビー(PHOTO-ERAから如)私達が寡域のモデルとして猫を取扱つた時に猫.と同様に猫を取扱つたのであつた。例へば彼の食好きの友は驚いて言つた。事に残飯を興へても猫が夫れを喰はなかつたら、「君は猫を理解して居ないね。我々が猫を取扱ふ彼は腹がすくだらら。戸口に猫が居る時に、彼が通には彼に封する周到な注意が必要なんだよ、君はらずにぐず々々して居るならば、這入りたくない犬を撮るには慣れて居るがね。」のであらうと扉を閉める、位な理解を以て。質際、私達は犬を取扱ふには充分慣れて居るが然し私達の知つて居る範闇に於て猫に就て書い猫に劉しては、殊に彼の復雑な性格に劉しては何等の研究をも僑て居ないのであった、にも拘はら若し私達が自分の墓所に居る虎猫のヂェンを使ず私達は猫をモデルに使つたのである。猫の心理つて撮つたなら、私達の取扱ひ方でも或は成巧しなんぞは別に考へもしなかつたので、例時もの犬たかも知れなかつた。然し寡冥にするに就て私達一は美的で上品に育つた、優雅な可愛らしい、身燈い調和があった、彼が共柔軟は鍵を動かす度毎にの釣合の取れた猫を必要とした。夫れにはペルシ彼の毛並みが脊銀色から黒い斑らへと焚つて行くャ猫を使はねばならなかつたのである。御承知ののであった。通り其様な完全な猫や、生梓の交り気のないべル私達がテオドシァに依つて楽術的の罰象を得たシャ猫は滅多には居ない。これ等貴族的な猫と比事は否めない事柄であった、然し私達の目的はカ較して、わが豪所の虎猫などは共性格の躍純質朴一メラに封して或るモデルを必要とするので、私違一さは殆ど犬の如うなものであった。の室に装飾を必要とするので、はなかつたのであ私達の不適営な取扱で問題となつたのは、テオる。富域のモデルとして彼れテォドシアを選んだドシアと呼ぶ猫であった。彼は熊度の上品な、立のは失敗であった。派な動物で見るから美しい快よい猫であつた。「猫はじつとして居ない動物である。テオドシア彼が暖耀の前に座り込んだり、日富リの良い窓は何の必要の僑めに自分が伴れられて楽たかを知枠の上で微を展ばしたリ、した時の姿は私達の宝一り而して其件られて楽た事賞に不満であったのはの立派な装飾品であった。彼の美事な黄色い目球疑ひない。多分彼は、ベルシャ猫を或る何等かQ目は賓石と輝き。小さい耳は霧子、貝殻のつや々か的に役たてやうと私達が考へるのは不都合な事ださを持ち、灰青色の彼の毛皮には光と影の美くしと彼れ自身思つて居たに相違ないのである。如何